土壌汚染という言葉は最近でこそ認知されてきていますが、国が本格的に土壌汚染対策法を施行したのは平成15年からでした。その法の目的は「国民の健康を保護する」というものです。
また、法の中では健康被害をもたらす可能性がある物質の基準値というものを制定しています。
では、土壌汚染による健康被害がなぜ発生するのか?そして汚染の原因となる物質が人の健康を害する理由、実際の健康被害事例についてお話いたします。
なぜ、健康に被害があるのですか?
土壌が汚染されることによって、なぜ健康被害が発生するのか?
致死量という言葉があります。これは人が摂取する又は被曝(ひばく)すると死に至る量のことを示します。極端な話をすると、砂糖をこの致死量を超えるほど食べてしまうと死に至るということです。
土壌環境基準で定められた物質は、この致死量が少なくても人体に影響が出るという物質を選定しています。
しかし、産業を営む中でその特性が有効に働くものもあるので有害物質を使用しないといけない場面が出てきます。
使用する有害物質を適切に管理した上で事業活動を行うのであれば問題ないですが、使用している物質が有害かどうかということを気にし始めたのは1980年代以降になるため、創業年数が長い企業では管理体制が確立されていないところがほとんどです。
よって有害物質を使用して事業活動を行っている企業では土壌汚染が絶対にないとは言いにくいと思われます。
土壌汚染の原因は、ほとんどが人為的なものです。例えば、工場や研究所から汚染物質が土壌へと浸透する場合、クリーニング店から化学物質が土壌へと浸透する場合、いずれも深刻な汚染の原因となる事例です。
化学物質と聞くと何やら、人工的に生成されたもの、人の身体にはよろしくないもの、そして大自然とは相容れない、相反するものというイメージが先行する傾向にあります。
大自然の中で作られたもの → 身体に優しい
人工的に作られたもの → 身体に悪い
この図式でいうと、工場や研究所で使用される化学物質などは人工的に作られたものの代表格。そんなもの身体に悪いに決まっている!
実はこの考え方、正解でもあり間違いでもあるのです。
化学物質が全て身体に悪い!というのであれば、例えばビタミンCはどうなるのか?ビタミンCは別名「アスコルビン酸」と言い、れっきとした化学物質です。おそらくビタミンC
が身体に悪いと考える人はほとんどいないでしょう。
どんな化学物質も、もともとは人が作り出したものではありません。
例えば、海水には比較的高濃度にフッ素が含まれますが、海水中のフッ素だけを集めれば、化学物質としてのフッ素が出来上がるわけです。
本来、海水中に適度な濃度がと持たれていたフッ素をありとあらゆる手段を用いて濃縮し、フッ素だけを取り出す!当然そこでは自然の摂理や法則などは一切考慮されません。
そんな自然の法則を一切無視した化学物質としてのフッ素を土壌中に浸透させたり、人が誤って摂取してしまうと当然身体への悪影響を免れることはできません。本来、身体が必要とするフッ素の量は決まっており、それを超える量のフッ素は害にしかならないのです。
皆さんは、ヒ素という物質をご存知でしょうか?1998年に発生した「和歌山毒物カレー事件」で毒物として悪名を轟かすに至った物質ですが、実は人間の身体にも微量存在する物質であり、人の身体にとって無くてはならない体内必須元素なのです。
つまり、どんな化学物質も、例えビタミンCのような身体に良いとされる化学物質でさえも、人の身体の必要量を超えて摂取すれば毒物となる。その現象が極端な形で現れるのが土壌汚染による健康被害なのです。
元来自然の中に存在する、例えば植物や動物、樹木、葉っぱ、岩石、海水などにごく微量含まれる物質をありとあらゆる手段で極限まで濃縮したものが化学物質となるのです。
どのような対策がされていますか?
工場や研究所で使用される化学物質については、様々な法律で規制されています。化学物質の使用については「毒劇物取締法」、化学物質の廃棄については「廃棄物処理法」、化学物質の下水への廃棄については「水質汚濁防止法」「下水道法」などなど・・・
これらの法律を厳密に守っていれば土壌へ化学物質の浸透される事態は未然に防ぐことができ、現に土壌汚染が発覚する事例は減少の一途をたどっています。
無論、土壌汚染を未然に防ぐ対策も行われています。工場や研究所から土壌への化学物質の浸透は、「土壌汚染対策法」によって厳しく規制されています。
企業のコンプライアンスが叫ばれる昨今、企業による土壌への化学物質の浸透は企業存続の危機に直結する事態となりえます。
また、環境への配慮を内外へアピールすることで企業イメージアップにも繋がるため、各企業で土壌汚染を未然に防ぐ対策は十分に実施されていると考えて良いでしょう。
土壌汚染の影響を受けた健康被害の事例はありますか?
では、実際に化学物質による健康被害が発生してしまった事例はあるのか?先ほど言った土壌汚染対策法は、基本的に人への健康被害を防ぐ目的で制定された法律であり、第5条には、汚染された土壌を人が摂取する可能性のある土地について規定されています。
しかし、土壌汚染対策法制定以降、第5条が適用された事例は極めて稀です。これは、化学物質に関する様々な法律による規制により、各企業の化学物質取り扱いの意識、環境保全の意識が高まりつつあるため、人への健康被害が疑われるほどの高濃度汚染が疑われる土地がなくなってきていることに要因があると考えられます。
ただし、その土壌汚染対策法は平成15年に施行されたばかりの法律であり、以前は化学物質の土壌への浸透を規制する法律はありませんでした。
地中に浸透した化学物質は、数十年もの長い期間留まり続け、土壌や地下水を少しずつ汚染させていきます。つまり、現在土壌汚染調査で発覚されている土壌汚染事例の多くは、法制定以前の化学物質の土壌中への浸透を原因とする、いわば先人の負の遺産であると考えられます。
では、土壌汚染の影響を受けた健康被害の事例はどんなものか?土壌汚染に関わる健康被害の歴史を辿ってみましょう。
足尾鉱毒事件
19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本で初めてとなる足尾銅山での公害事件です。銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、多くの健康被害をもたらしました。
当時は汚染物質を総称して鉱毒と呼ばれ、その主成分は亜酸化鉄、硫酸、二酸化硫黄、カドミウム、鉛と言われていました。足尾銅山から流れ出す汚水が渡良瀬川を汚染し、そこから田畑の水、土壌を汚染し、農作物等に多大な被害を与えました。
土呂久砒素公害
1920年(大正9年)から1941年(昭和16年)までと1955年(昭和30年)から1962年(昭和37年)までの計約30年間、宮崎県西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山で、亜砒酸を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染でおきた公害です。
特に、ヒ素による汚染が深刻であり、皮膚の色素異常、角化、ボーエン病、皮膚癌、鼻中隔欠損、肺癌などの病気を発症させる要因となりました。
イタイイタイ病
1950年代に発生したカドミウム汚染を原因とした疾患であり、神岡鉱山から排出されたカドミウムが神通川水系を通じて下流の水田土壌に流入・堆積し、そのまま米にカドミウムが混入、それを人が食べることで発症しました。
病名の由来は、患者がそのあまりの痛みに「痛い、痛い!」と泣き叫ぶことしかできなかったため、そのまま病名として採用されたと言われています。
カネミ油症事件
1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県、長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件であり、食品公害としては国内最大級の事件です。
油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃんが生まれ、胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースも見られました。この現象は社会に衝撃を与え、事件の象徴となりました。
当時PCBは、熱に対して安定で、電気絶縁性が高く、耐薬品性に優れていたため、加熱や冷却用熱媒体、変圧器やコンデンサといった電気機器の絶縁油としてだけでなく、可塑剤、塗料、ノンカーボン紙の溶剤など、非常に幅広い分野に用いられていました。
その後、上記の事件発生によりPCB毒性が認識され、生産・使用の中止等の行政指導を経て、1975年に製造および輸入が原則禁止されました。しかし、上記に示したように、PCBの物質としての安定性により廃棄処理が極めて困難、従って、具体的処理対策の確定まで使用者が保管すると義務付けられました。
各事例は、いずれも土壌汚染対策法制定以前のものですが、土壌汚染がいかに人の健康に大きな影響を及ぼすかを世に知らしめるきっかけとなりました。これらの事件を教訓として、平成14年に土壌汚染対策法が制定され、土壌汚染問題は解決したかに見えました。
確かに土壌汚染による健康被害の可能性があると認定される土地は極端に減少しています。土壌汚染調査の義務化により、汚染土壌の拡大を未然に防ぐことができるようになったことも要因だと考えられます。
しかし、土壌汚染に限らず、1つの問題を解決すればまた別の問題が発覚するもの。土壌汚染に関わる問題でもすでにその兆候が出てきています。その最たるものが「豊洲土壌汚染問題」でしょう。
先日、無事開業した豊洲市場ですが、地下水汚染問題は未解決のままであり、このままではすでに過去のものとなりつつある土壌汚染からの健康問題が発生する可能性も指摘されています。
土壌汚染対策法もまだまだ歴史の浅い法律です。今後どのように改正されていくかを注視していく必要があるでしょう。